2014年11月22日土曜日

ヤンゴンで注文家具を作った

"男には二種類いる。女を愛する男と物を愛する男だ"

と、のっけからハードボイルド風の箴言で始めてみましたが、私は圧倒的に後者です(笑)。要するにオタク気質なわけです。なので、気がつくとモノがどんどん増えている。
そういう訳で、2年程前にミャンマーで買った本棚がすでに一杯になり、これ以上、収納ができなくなりました。

そのため以前このブログでご紹介したヤンゴンの注文家具屋さん sir. bo ni で本棚を購入しました。  竹の支柱と木の棚板の自然素材を組み合わせた、ミャンマーらしいデザインの本棚です。
作製依頼してから約1週間で完成。気になるお値段は60USD。他の国の注文家具と比べれば、かなりリーズナブルではないでしょうか。


買って1ヶ月程で、もうかなり中身が詰まってます。これ以上モノを増やさないようにせねば。


ミャンマーの家具いいな、と思ったらクリックお願いします
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年9月23日火曜日

【Column】ヤンゴンは女のロマンを打ち砕く街?

前回、男のロマンについてのブログを書いたので、今回は女のロマンについて。

ヤンゴンの街を歩くのは、かなりの注意を要します。吐き捨てられたばかりの真っ赤なキンマの痕、車に轢かれてぺしゃんこになったネズミの死骸、犬の糞などの数々の障害を周到に避けながら、歩く必要があります。視察などで来た人は、ホテルと視察場所や会議場等の間を点で移動するので、それほど目の当たりすることはありませんが、ローカルエリアに住んで、実際に生活するとなると、毎日嫌でも目にします。

それ以外にも、舗道の側溝が塞がれていないことがあるため、よく注意して道を見ておかないと排水溝に落ちる危険もあります。下を流れるのは、生活排水やらゴミがヘドロ状に溜まった汚水です。

今回は、デートの途中に排水溝に落ち込んだ経験を書いた、アメリカ人女性(おそらく)のコラムをご紹介します。詳しくは書いてませんが、それがきっかけでボーイフレンドとは別かれたようです。どうもヤンゴンは、女性のロマンスを育むのに向いた街ではないようです。

記事の紹介の前に、いくつか補足しておきます。

文中にある「あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップ」とは、アパートの各部屋の窓からぶら下げた連絡及び買い物用のクリップを付けたヒモです。
ミャンマーはエレベーターのない物件が多いので、このクリップに挟まれたメモや新聞を住人が引き上げる仕組みになっています。こうすると、いちいち階段を昇降する必要がありません。
個人的には、あまりアパートの真下を歩くことがないので、実際、これで危険を感じたことはありません。そもそも、ゴミやら生活排水やらが上から何か降ってくる可能性があるので、アパートの真下は歩きません(笑)。


コラムを書いた、Fiona Macgregorさんが落ちたと思しきDhammazediロードにある側溝です。私の通勤路でいつも跨いでいる場所なので、読んでて場所が分かりました(笑)。サボイホテルから50mくらい東の場所ですね。ヤンゴンには、このように剥き出しなった側溝が結構あります。周囲に街灯がほとんどないので、夜歩くときはかなり注意しなければなりません。


まぁ、ここに足突っ込んだら泣きますね。ミャンマーには水処理施設がないため、汚水処理とかいっさいしていないし。悪臭がするときもあるし。


とりあえずヤンゴンはロマンティックな気分が盛り上がる街ではないので、そういう場所が好きな方にはオススメできません。まぁ、自分が知らないだけで、本当はどこかにあるのかもしれないですが。今まで住んでて、ロマンティックになる必要性が生じたこともないですし(笑)。もし、ご存知の方がいれば、後学のためお教えください。

『Myanmar Times』2014年9月22日~28日 より記事転載(原文は英文)

Hole Story 堕ちた女 Text by Fiona Macgregor 


いつも私は誓っていた。もしそれが起こったら、もうおしまい。ここで起こりうる最低の屈辱にあったなら、私はすぐに自分の国に帰るつもり。「堕ちた女」にちゃんとした補償がされる国へ。
大西洋を隔てた同胞スコットランド議会が、好ましからぬと見なされても動議を諮ったように、彼もしくは彼女が、会話の最中に舗道の真ん中で突然穴に落ちたら、地方政府を訴える権利があるだろう。
その出来事がボーイフレンドとの仲を裂くきっかけとなった場合、追加の弁済を定める法があるのかどうか知らないが、私はその義務はあると思う。
不注意な歩行者が見落としがちな危険や、歩くのに注意を要する舗道といった、街中に潜む恐怖を考えると、ヤンゴンの街を長く歩けなくなってしまう。アメリカ人的な視点から言わしてもらうと、ガタガタのコンクリートの瓦礫の集まりを舗道と呼ぶことは、舗装という概念を貶めることを意図しているようにさえ思える。
いくつかの面で、ヤンゴン市内の舗道を改善する施策がなされていることは疑いようはない。だが、ヤンゴンでは、意図せずコンピュータ・ゲームの世界に投げ込まれたプレイヤーになったような気がしばしばする。
「ストリート・オブ・ヤンゴン」。
そこではプレイヤーは、隠れた穴や裂け目を避けながら舗道を進み、戸口から自分に向かって吐き出される真っ赤なキンマ(訳注:噛みタバコ。ヤンゴンの道は、吐き捨てられたキンマの後で赤い斑になってます)の唾や、あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップを避けなければならない。死んでしまえば(あるいは3回死ねば)、排水溝に落ちてゲームオーバー。望まぬ状況でも、ボーナスポイントが得られたら、あなたは平静さと清潔さを保ったまま無傷で目的地に到達する。
運命が私にそれまで考えたことがない恥辱を与えるまで、舗道に関するトラウマで最悪なのは、開いた排水溝の不潔な汚水に体を浸すこと、おぞましいネズミ達が這い回る、都市が吐き出す、悪臭の漂う不快な排出物の中に身を沈めることだと想像していた。
確かに私の不名誉な経験は、大きな恐怖として私の中に刻み込まれている。だが、私が不格好に品位を失った瞬間は、決して癒すことのできない傷を私に残した。
それが起こった夜は、今は元彼となった男性との最初のソーシャル・ミーティングだった。 とても大事な時期で、だから私は知的洗練と無防備な魅力をもって彼に接するように心掛けた。どうやら私は無防備な部分だけを上手くやってのけたようだ。
私が来るべきスコットランドの国民投票の微妙さについての気の利いた意見を述べて、彼を魅了した(と私は信じたい)瞬間もあったが、次の瞬間、私の右足はあるべき道の上になかった。穴に落ちたのがあまりに急のことだったので、英国議会の何人かのメンバーが企てたマキャベリ的陰謀ついての私の意見は宙に浮いたままだった。そして、穴に落ちなかった残りの体の部分をコンクリートに打ちつけた。
彼は、悲惨な状況へ、英雄的な勇気をもって立ち向かった。私の右足をそっくり飲み込んだ、不気味な裂け目に降りてまでして、私を助けてくれた。近くのサボイホテルへ私を連れて行って、血まみれの私の足をいたわり、ワインを振る舞い私の高ぶった感情を慰めた。
私は、ただ、言うもおぞましい、病原菌に満ちた穴に落ち、助けられたのだが、流れる血と打撲が不名誉な事態をさらに大袈裟にしていた。
そして、こんな経験をしたのは私だけではないし、私がこの街の通りに潜む陥穽に(肉体的に)最も傷つけられた犠牲者だったわけでもない。
もっと深刻な事故は起きている。「ヤンゴンで穴に落ちた、酔っぱらいの欧米人についての記事を書くべきよ」と、ある友人は最近メールを送ってきた。
数日前、友人の同僚が酔って夜の街に繰り出した時に、ダゴン区で穴に落ちたと聞いた。彼はしばらくの間、意識不明になった。幸運にも、彼の脳震とうによる後遺症はなかったが、その夜は、彼が予定していたようには終えられなかったに違いない。
だが、私の場合、穴に落ちた後に飲んだワインが、その夜最初の一杯だったことは確かだ。素面で用心深い歩行者も、大きなリスクにさらされている。
しかし、穴に落ちたという事実は、何かしら人を笑わせるものらしい。ある種の本能的な反応として、危険な瞬間を体を張ったコメディに変えてしまう。これは世界的に同じ現象らしい。
だが、別の反応もある。これは私が東南アジアに来てから気がついたものだ(エジンバラ地方議会御中、私が「道中にある、偽りのおとし穴」について、皆さんへお手紙を送りした時に理解していなかったことをここに認めます…)。
そう第二の反応は、「競争」だ。
「おっ、ヤンゴンの穴に落ちたことを書いてるんだって? 俺にも穴の話をさせてくれ…」。
そして文字通り、穴だらけのホラーストーリーが始まる。誰もが人よりすごい話をしたがり、 しまいには、誰かが拉致されて、一年間ドロドロした穴に閉じ込められて、クモとウジ虫を食べて生き延びたと言い出す始末だ。
私の経験には多くの教訓があるはずだが、おそらく、ほとんどは既に知っていたものだ。「いつも道をよく見てなさい」、「政治とワインと元彼の組み合わせは、何らかの失敗が起こりやすい」といった教訓だ。
ヤンゴン市内の舗道がすぐに歩きやすくなることはないだろう。だが、私は絶望の淵に沈んだままでいる気はない。
冒頭で、それが起こったら、ここを去ると誓ったものの、私はまだヤンゴンに留まっている。私は、自分では気づかないまま、私の隠された部分が、失った品位を、再び取り戻すことを期待しているのではないかと訝っている。それは、今のところ、Dhammazediロードの地獄の淵に、人知れず沈んでいるのだが。

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年9月22日月曜日

【News】ミャンマーは男のロマンが通用しない国?

最初にミャンマーに来た外国人の多くは、この国の何もなさに限りない可能性を感じます。
この国で、自国には当然のようにある、あんな事業やこんなサービスを提供したら、競合のないこの国での成長は天井知らずではないか?、と夢を見てしまうわけですね。

でも、そうした事業やサービスがないのには、それなりに理由があります。外国人にはとうてい理解不能の規制当局の対応や、合理性や効率性を重んずる資本主義的な労働観に馴染んでない労働者、貧弱なインフラ等々、思い描いた夢の先には多くの障害が現れます。あまりメディアでは表立って語られませんが、この国で多くの外国人が、こうした環境の中で日々苦闘しています。

夢見た事業が実現できず、この国を去りたいのだけど、それも理由不明の出国禁止でかなわない、手持ちの資金は尽きる寸前で、どうにもならないという状況のコスタリカ人起業家のニュースがあったので、ご紹介します。
この人は、たぶんロマンチストだったんだろうと思います。自然が残された手付かずのミャンマーのビーチを見て、小さな自分の王国の建設を夢見たのでしょう。
この人の悲劇は、自分の夢を追うあまり、地元の有力者とのコネクションや、噂好きの地元民と良好な関係を築くという、ミャンマーで生きていくために必須となる現実的な側面を見落としていたことが原因ではないかと推測します。

夢を見る気持ちは良く分かるのですが、 勝手に外からやってくる外国人に気持ち良く夢を見させてくれる程、この国も甘くないです。
外国人の描く理想や夢は、そこで暮らす人々の日常や生活とは関係ないのですから。
このコスタリカ人起業家は、本当に気の毒だと思いますが。

『Myanmar Times』2014年9月15日~21日 より記事転載(原文は英文)

Business dream turns to nightmare for stranded Costra Rican entrepreneur 

夢見た起業が悪夢に 囚われのコスタリカ人起業家

Text by Thomas Kean, Ye Mon

Gunter Oteroが2012年に初めてガパリビーチに行った時、彼は夢心地となった。
「それはまさに僕が少年時代を過ごした、旅行業界がブームになる前のコスタリカそのものだった」。
世界中の旅行業界で10年程働いた後に、彼はこの場所こそが自分が腰を落ち着けて、自らのビジネス ー 旅行者向けのレストランとロッジ ー を始める場所だと心を定めた。
彼に先立つ多くの起業家同様、Otero氏の夢は早々に潰えた。100,000 USドル以上を事業につぎ込んだが、もう彼はこの国を出たいと願っている。そうしていない理由はただ一つ、彼の出国が許可されないからだ。

彼は、7月に偽造文書作成の疑いで裁判にかけられた。彼によれば、罪状は今年の初めに、彼の息子が生まれたThandweの病院での出生証明の発行に関わる誤解から生じている。
判決は区の裁判所で8月28日に結審したが、彼の名前は入国管理局のブラックリストに載ったままで、出国ができない状況だ。 それと同時に、Thandweの地域入国管理官は、なぜ彼はオーバステイしているのかの説明を求めている。彼のマルチプルビザは、9月8日で約70日の滞在になっている(訳注:ビジネスビザでの最大滞在日数は70日)。
出国ができないため、Otero氏は自分の海外にある銀行口座からの引き出しもできず、シンガポールやバンコクのコスタリカ人コンサルタントの支援も受けられない。この状況を彼は理不尽極まりないと憤る。
「僕は疲れ果てた。肉体的にも、精神的にも、経済的にも」と、先週、彼はミャンマータイムズに語った。「どうすることもできない。友達みんなからお金を借りた。でも、これ以上は無理だ。こんなに追い込まれたのは、人生で初めてだ」。
彼の問題は、自分で建てた浜辺を望む丘の上の家に住もうとした時から始まった。2013年8月に入国管理管の深夜の訪問があり、その家に住むことも、居住地として登録することもできないと告げられた、
それ以来、 彼はガパリビーチのホテルに泊まっている。状況は、彼がThandweに住むラカイン出身の女性との結婚が、地元の活動家の目を引くことでさらに悪化した。彼らは、Thandweを移動する彼をつけ回し、彼の妻へ迷惑電話による嫌がらせを行い、地方政府や地方裁判所の役人へ、彼へさらなる法的措置を取るように働きかけた、と彼は言う。
「これは明らかな人種差別だ。彼らは、僕がローカルの女の子と結婚したことが気に食わないんだ」。 

ラカイン国民党Thandwe事務所のスポークスマンのU Myint Ooは、Otero氏の問題について憂慮しているが、ラカイン国民党の党員は誰もこの件に関わっていないと語った。彼は、ラカイン国民党が政府の役人にプレッシャーをかけたり、Otero氏をつけ回したという意見を否定した。「彼のことについて、党のいかなる会合でも話題にしたことがない」。
入国管理局Thandwe事務所のトップU Aung Tunは、当局がOtero氏の出国を許可しないことに関知していないと語った。
「もし、外国人が犯罪を犯せば、政府は国外退去させるだろう。しかし、Otero氏は罪を犯していないから、自由に国を去ることができるはずだ」と、U Aung Tunは9月8日に語った。
Otero氏のThandweを拠点とする弁護士Daw Nway Nway Nyeintは、同じく彼の移動が禁じられていることに当惑していると語った。
「もし係争中の外国人であれば、出国は許されないでしょう。しかし、Otero氏はいかなる犯罪にも手を染めていません。なぜ、政府が出国を許可しないのか理解できません」。
ラカイン州の外にある地方の、ある入国管理官は、出国禁止をネピドーの政府が取り下げないのは、判決のコピーをまだ受け取っていないからかもしれないと語った。 Otero氏は係争のあった裁判所に、入国管理局の責任者に対する推薦状の発行を依頼したが、裁判所は、それは通常の手続きではないと拒否した、と語る。ネピドーにいる入国管理局の責任者は、多忙のため、この件についてのコメントはできないと答えた。

いたずらに時間と費用を費やす中で、Otero氏の手持ちの資金が尽きようとしている。彼は自分に降りかかったこの一年の災難は、この国への投資、とりわけラカイン州での事業を考える外国人への注意を喚起すべき事例だと言う。
「これが、最初に起こったことでないことは分かっている。僕の望みは少しでもお金を取り戻し、妻と子供を連れて出国することだ。僕はここでスモールビジネスを立ち上げたかった。それは地元に雇用を生んだはずだったのに」。

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年8月20日水曜日

センスの良いヤンゴンの家具工房

ミャンマーに住んでいて問題になるのが、センスの良い家具屋さんがなかなか見つからないことです。ミャンマーはチーク材の大産地であるので、家具の材質は非常に良いのですが、デザインや使い勝手にかなり問題があります。
ローカルの家具店に置いている商品は、やたら大きくて場所を占有する、過剰に装飾的で概してシンプルなインテリアを好む外国人の嗜好に合わない、現地の生活様式に合わせているためテーブルや椅子の高さが低過ぎて使えない等の問題があります。どのお店でも置いている家具が、画一的なローカル向けにデザインされたもので、仕上げも雑な場合が多いです。
チーク材などの良質な木材が入手し易く、手作業を担う家具職人の数が多いにも関わらず、ミャンマーでの家具購入の選択肢は意外に少ないです。近年、外国人が増えたため、Facebookでもミャンマー在住外国人向けのフォーラムで、「どこか良い家具屋はないのか?」という質問を見かけるようになりました。
昨日、見学に行った家具工房がデザイン・品質ともに非常にレベルが高かったので、ご紹介します。

ヤンゴン郊外の北側に工房があり、林の中の奥まった場所に工房を構えています。


空港よりの場所で、ヤンゴン中心部からタクシーで30分程の距離ですが、街の喧噪から離れた閑静な所で辿り着くとほっとしました。

オーナー一押しの自信作のディレクターチェアです。1930年代のデンマークで作られた家具を研究して復刻したもの。背もたれと台座は上質なレザーを使用しています。

こちらは現在企画中の折り畳み椅子。背もたれの部分のデザインと畳んだ時の噛み合わせが良くないことに満足がいかず、研究開発中とのことです。このような完成度へのこだわりを持った工房は、ミャンマーでは貴重です。同地の製品は、概ね大味で雑な仕上がりなので。

職人さん達の作業風景。

ガレージに置いていた1952年式のジャガー。オーナーのこだわりや美意識が垣間見えます。

Sir. Bo Ni furnishings 826-C, Aungzaddy St. (Off Pyay Rd.) 10th Mile, Sawbwagyigone Insein Tsp, Yangon
Ph: 09 420158693
Email: sirbonifurnishings@gmail.com
Open: Mon-Fri 8 am to 6 pm

工房は大通りから奥まった場所にあるので、ちょっと分かりにくいです。販売用の在庫は置いてないので、注文販売となります。Webを見て気に入った商品があれば、前もって予約して、完成後に取りに行った方が効率が良いかもしれません。原則、配送はしていないとのことです。オーナーがいない場合もあるので、事前予約してから行った方が良いでしょう(英語可)。

家具難民になっているヤンゴン在住の外国人には、この工房はありがたい存在だと思います。

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年7月14日月曜日

カチン料理屋に外国人客が集まる理由

行きつけだった近所のカチン料理屋が、Sanchaung地区から移転してしまいました。数少ない外食の選択肢が減ってしまい苦慮していましたが、同じSanchaung地区に別のカチン料理屋を見つけたので、今はそこへ通っています。

さて、前に行きつけだったお店もそうでしたが、いま足繁しく通っているお店でも、外国人客を良く見かけます。行けばたいてい一組以上の外国人客がいます。近所にミャンマー人向けの英会話教室があるのを勘案しても、ローカルレストランにしては、異例の外国人比率の高さです。彼ら彼女らが、ここへ来る理由は、おそらく私が通っているのと同じかと思われます。

以下に、その理由を列記します。

(1)英語のメニューがある
観光客を対象としていないローカル料理屋には、大抵英語のメニューがありません。ミャンマー語が読める外国人は極めて少ないため、当然、外国人の足は遠のきます。ところが、カチン料理屋にはなぜか英語のメニューが用意されています。しかもオーナーになると英語話者の場合も珍しくありません。これはカチン族は、キリスト教徒がマジョリティであることも関係しているのかもしれません。

(2)ローカルのミャンマー料理屋と比較して、油分が控えめ
日本人がミャンマー料理に躓くのは、その極端にオイリーなところに依る所が多いです。さらに、味付けがすべて同じなので、常に同じ味なのに飽きて、滞在が長期になると食べる気がしなくなるという側面もあります。
カチン料理は、ミャンマー人が食する一般的なビルマ料理と比較すれば、油分が控えめです。といっても日本食に比べれば、相当にオイリーなわけですが、現地で可能となる選択肢の中では、油分が他と比べて控えめというのは、大きな魅力です。

(3)価格帯がローカル料理屋の範囲にある
では、日本食のレストランに行けばいいじゃないかという意見も出て来るかもしれません。日本食レストランは、ここ1、2年で急激に数を増やし、ヤンゴンだけで約200店になったと言われています。しかしながら、日系資本の経営による日本食レストランの多くは、日本で食べるのと価格がそれほど変わりません。翻って、ミャンマー現地採用の日本人の日系企業での給与相場は、10~15万円がヴォリュームゾーンと言われています。現地の所得水準を考えると、多くの今の日本食レストランの値付けは、大部分のミャンマー人のみならず、ミャンマーに根を下ろす日本人にとっても響かないものになっています。
本国と同じ値段を気にせずに、レストランに通える客層は、大使館等の政府機関関係者や、ミャンマーへ転勤で来ている本社採用の駐在員の人たちです。駐在員の家族を含めたミャンマー在住の推定2,000人の邦人の一割が、本国と同等の(もしくは在外手当がつくため、本国以上の)可処分所得があると想定すると、本国と同じ価格帯のレストランの対象となる潜在顧客は、ミャンマー駐在員とその家族を含めた約200名と、日本からの出張者しかいないことになります。
プレスリリースで「現地の富裕層も対象に」というフレーズを頻繁に見かけますが、現地の富裕層でも、本格的な日本料理は口に合いません。ミャンマー料理の味付けと日本料理のそれは、あまりにも開きがあり過ぎて、海外で育った人物でもない限り、薄口の微妙な味わいはミャンマー人の嗜好に合いません。ただし、 和牛はミャンマーの富裕層の中でブランド化しているため、高級焼肉店はそこそこ人気があります。
そして上述しましたが、現地の所得水準に準じた、現地採用の日本人、現地のローカル企業に勤務する日本人、NPO・NGOに勤務する日本人の足は、本国と同じ価格帯のお店に頻繁には向きません。
ミャンマーに2年あまり住んで身に付いた、現地で妥当と感じる価格帯は、一皿が上限4,000チャット、客単価がアルコール抜きで5,000チャット未満、アルコール入れての客単価合計が7,000チャット程度です。

さて、カチン料理屋に話を戻します。
このお店の価格帯は、ローカルレストランの中では、やや高めというところでしょう。

ご飯類は2,000チャット(約200円)。ミャンマーの典型的なチャーハンに比べると、油分控えめです。


麺類は2,500チャット(約250円)。日本で言うと肉ソバ。カチン族は、ミャンマーでは珍しく、牛肉を常食としています。


ちなみにミャンマービールは、大瓶1,800チャット(約180円)です。

お店の情報は以下の通り。Sanchaung地区の消防署の近くです。

Jing Hpaw Myat
No.2(B), Kyun Taw Street, Sanchaung Township, Yangon
Tel: 01-524525, 01-503521

上に書いた値頃感に則しているのも、現地在住の外国人ーその多くは近所の英会話学校の講師ーが数多く訪れる大きな理由でしょう。ミャンマーでの英会話講師の給与水準については知りませんが、現地の授業料を勘案すれば、それほど高いとは思えません。この前は、店にワインを持ち込んで飲んでいる強者の外国人を見かけました。外国人が多いと書きましたが、他の日本人客は見たことがありません。Sangchaung地区の日本人の皆さんは、自炊派が多いのでしょうか。

現地のレストラン相場のご参考に、同じくSangchaung地区にある家鴨料理の人気レストランをご紹介します。


ここは家鴨の肉入りソバが、700チャット(約70円)。ローカルフード価格です。


調理は、屋外に張り出したテントの下でされています。


さすがに衛生面の不安があるためか、このお店では外国人を見たことがありません。ですが、いつもローカルのミャンマー人で賑わっています。ちなみにメニューは、ミャンマー語表記のみです。


これからミャンマーへレストランの出店を考えるなら、たとえ日本人でも、業態は日本食レストランにこだわる必要はないかと思われます。日本料理を提供するとなると、食材や調味料等の調達にどうしてもコストが嵩みます。加えて料理人の育成などにも時間とコストを要するため、ローカルレストランに競争力のある価格を提示することは難しいでしょう。
発想を変えて、現地で容易に調達できる食材で調理できるミャンマー料理を、外国人向けに提供することを検討しては如何でしょう?
外国人にターゲティングしているわけでもないカチン料理屋に、外国人が集まっていることからも、英語のメニューがあり、油分を控えた、リーズナブルなレストランに大きな潜在需要があることが読み取れます。年々、外国人のミャンマー在住者が増えてきているので、この需要は今後も右肩上がりでしょう。
外国人の嗜好にマッチした、ローカル価格のミャンマー料理屋、そんなお店が近所にあれば私も通います(笑)。さらに、インテリアを、東京とかロンドンにあるカフェぽい内装にして、アルコールも含めたドリンク類を充実すれば、観光客にも人気が出るのではないでしょうか。
最後の方は、ミャンマーで生活する者として、存在して欲しいお店の願望になってしまいました(笑)。   

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年5月19日月曜日

いまヤンゴンで一番クールな場所

少し前からWebの記事Facebookページで見て気になっていた、ショップ兼ギャラリーのTS1に行ってきました。Webで見たときには、今までのミャンマーにはないアーティスティックで、スタイリッシュなスペースだと感じました。こうした場合、プレスリリースの写真は格好良くても、実際行ってみると、そうでもないことが往々にしてあるものですが、ここは予想以上にクールな空間でした。
入り口から、無造作に撮った写真でも、こんな感じです。ここだけ見ると。ニューヨークのSOHOにあるアート・スペースと言っても違和感ありません。それを意識して作っているのでしょうけど。立地も、川沿の倉庫街だし。

広々とした、贅沢な空間の使い方です。天井が高い上、半透明の屋根から、自然光が入る仕様で、開放感があります。

ニューヨークの設計事務所のアメリカ人建築家に設計を依頼したと、カタログに書いてました。カタログも立派で、スタイリッシュな作りです。ミャンマーでは珍しい、お金とセンスを惜しみなく注ぎ込んだ格好良さです。脇の甘さや、隙がありません。

アパレル・コーナーもあります。ここだけ見ると、コム・デ・ギャルソンの店内みたい。半袖シャツが一枚85USDとお値段もお高め。

家具も売っています。中目黒のデザイン家具屋みたいなテイストの家具です。たいていのミャンマーのローカル家具屋は、無駄に大きくて、過剰に装飾的な家具しか売ってないので、趣味の良い家具屋は貴重です。ただし、価格も中目黒価格。写真のサイド・テーブルとソファが共に400USDとローカル価格とは一線を画してます。うーん、せめて半値ならすごく魅力的なのだが。

 雑貨類も置いています。色調とかデザインが、外国人向けにお洒落。小物類も、ひとつ約30USDとお高め。ちなみに写真のテーブルは、750USDでした。


ショップの隣にギャラリーを併設しています。ミャンマーのギャラリーは、印象派風の絵画、つまり19世紀末くらいの技法で描いた絵画を扱った店がほとんどです。率直に言って、当地のアートシーンは、やや古臭い感があります。ここは従来のギャラリーとは違い、ミャンマーのモダンアートを専門にキュレーションしています。ミャンマーで、ローカルのアーティストの現代美術を見る機会は少ないので、非常に新鮮です。

いまのヤンゴンで、いちばんスタイリッシュで、クールな空間であることは、おそらく間違いないでしょう。
住所は、以下の通り。周囲に何もない場所なので、タクシードライバーに探してもらうのに、けっこう手間取りました。
Transit Shed No. 1, Between Lanthit Jetty and Kaing Dan Jetty No.1, Oo-Pa-Sa Street, Seik Kan Township

行って感心すると共に疑問に感じたのが、今のミャンマー(ヤンゴン)にこの種の格好良さへの需要があるのだろうか?、ということでした。
ローカルの富裕層は、金ぴかで、過剰に装飾的なデザインが好みですし、ミャンマーを訪れる外国人はビジネス客が中心でアート的なことに関心を持つ層は、かなり限られるのではないかと推測されます。
ニュースによると、投資したのは香港生まれの実業家ですが(たぶんミャンマーの富豪のセルジュ・プン氏の子息か係累。オックスフォード大、NYヴォーグ勤務という輝かしい経歴の持ち主)、ここまで、資金とセンスをふんだんに注ぎ込んだ贅沢なスペースは、ミャンマーでは初めてなので、今後の現地での反応や、将来の展望が気になります。
これからのミャンマーのセンスや嗜好、そして消費動向がどう変化するかを占う上でも、定点観測したいと思える場所でした。 

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年4月28日月曜日

地元民に愛されるローカル・レストラン

水祭りも終わり、雨期を前にした、ミャンマーで一年最も暑い時期になりました。
ここ一週間程、体がだるく、頭痛がします。熱中症かなと思ってましたが、ひょっとしてデング熱かもしれません。

さて今回は、Sanchaung区に住んでいる地元の人たちから愛されている、人気ローカル・レストランをご紹介します。

Shwe Yee
No.27, MaharBawga Street, Myaynigone (South), Sanchaung Township, Yangon
Phone: 01 501165, 01 500227

場所は、ダゴン・ショッピングセンター1の通りを挟んで、向かいの通りです。
日本語が喋れる店主のいる、かき氷屋さんSnow Whiteと同じ並びにあります。

 この通りの先がダゴン・ショッピングセンター1。

こちらが入口。日曜日のランチは、大抵、ここで摂っています。

いつも食べているのは、ベジタブル・カレーとトマト・ベースのチキン・カレー。
ミャンマー料理には珍しくココナッツ・オイルを使用していないらしく、ミャンマー料理にしては、あまりオイリーではないです。
もうちょっと調理方法を丁寧にして、綺麗に盛付けすれば、日本の小洒落たオーガニック・レストランに出てきそうです。やはりローカル・レストランなので、切った野菜のサイズとかバラバラだし、チキンは骨付きなので用心して噛まないとガリッとやります。

これにライスも加えて、全部で1,200チャット(約120円)!
さすが、ローカル・レストラン。納得のリーズナブル・プライスです。
ミャンマーの日本食レストランの5分の1くらいのお値段。

日によってはカレーが水っぽかったりして、味にバラツキがありますが、ローカル・レストランのミャンマー料理では、ここが一番美味しいと感じます。
人気店なので、早めに行かないとカレーが品切れになっていることもあります。

 客層は、ほぼ100%ミャンマー人。たまに、ガイドに連れられた欧米人を見る程度。
当然、ミャンマー語しか通じません。店内のメニュー表記も、ミャンマー語のみ。
私はミャンマー語できませんが、いつも同じ料理頼んでいるので、なんとか注文できてます(笑)。
ちなみに夜はやってないので、ご注意を。営業時間は、7:00~18:00くらいです。
現地慣れしている人、ミャンマー語の出来る人には、オススメのレストランです。

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2014年4月23日水曜日

【News】なぜミャンマーで外資系企業は苦戦するのか?

外資系ホテルのコングロマリットが相次いで、ミャンマーへのホテル建設のプロジェクトを進めています。もちろん、ミャンマーへの外国人旅行客が急増することを見込んでのことです。
ところが、今回ご紹介するニュースによると、ヒルトン、ノボテルなどは、当初の完成期日を過ぎても一向に完成の目処が立っていないようです。私もホテル建設に関わるあれやこれやを見聞する立場にいたので、ある程度、内情の見当はつきます。
とはいえ、世界中にホテルを建設したノウハウがあり、かつ財務、人材、技術、法務等の豊富なリソースを持ったホテル界の巨人達でも、やはりミャンマーでは苦戦するのか、との感慨もあります。

ホテル業界に限らず、ミャンマーに進出した外資系企業が、共通して直面する事態でもあるので、以下にどのような問題が起こりうるかを記します。

1.法律・許認可が不透明
各種ライセンスを取得するのに、手続きが明文化されていないため、相当に手間取ることが多々あります。多くの役所のいろんな部門に、根回しが必要な局面もあります。
現地特有の事情により、認可の取得が困難な場合もあります。たとえば、アルコール提供の認可に関しては、現在、新規のライセンス発行がなされていないため、ライセンス保持者からライセンスを買い取り、名義の書き換えて対応することになります。この場合、適正な価格でライセンスを譲ってくれるライセンス保持者を、どこからか探し出さなければなりません。事情を知るヤンゴン市内の居住者だとふっかけられるので、世情に疎い地方のライセンス保持者を探すのがベターだと言われています。

2. 現地企業にペーパーワークができる人材がほとんどいない
ミャンマーのローカル企業間では、契約書や文書を交わさず口約束だけで、ビジネスを進めることが多々あります。基本的に、文書をやりとりしてビジネスを進める習慣がありません。メールでデータを交換して、プロジェクトを進展させることは、ほぼ不可能です。質問表などを作成してデータを求めても、無視されることの方が多いです。特に、複雑な内容であったり、相手側に取って面倒だったり、都合が悪い内容の場合は、ほぼスルーされます。もっとも、ローカル企業に文書作成能力を持ったスタッフはいないことの方が多いので、対応できないのも当然かもしれません。
よって、すべての局面で、直接対面で話し合う必要があります。

3. 期限・納期に対する感覚の違い
何が何でも、納期や設定した期限までに、仕上げなければならないという概念は、ここにはありません。 たとえば、業者が3日で出来ると言っていた工程が、一週間経ってもできていないというケースはざらにあります。多くの工程で、このような遅延が生じるので、どんどん完成が先送りになっていきます。

4. 完成度に対する拘りのなさ
不思議になるほど、作業が雑です。建具の扉がきちんと閉まらなかったり、図面を無視して、自分のやりやすいように電気配線をしたり、といった事態が多発します。すべての工程を、入念に確認する必要があるため、工事監督者の負担は非常に大きいです。特に配管や水回りは、現地の要求水準が低いため、要注意です。配管が適切でないため、水漏れするケースが多発します。また、バスルームの排水という概念がないため、事前に勾配をつける等の指導しないと、バスルームに水溜りができる仕様となってしまいます。ローカルの施工業者には、竣工時に完成図面を提出するという習慣もないので、常に工事監督者が作業を確認して図面に落とし込む等の対応も求められます。

5. 物品調達が困難かつ複雑
一定水準以上の建物を作るためには、ミャンマーでは入手できない備品や部品を海外から輸入する必要があります。物によっては、輸入するためにライセンスの取得を求められるものがあります。また、例によって税関での手続きが不透明なため、時間を要することもあります。

6. 現地マネジメントの難しさ
これは良く言われていることですが、こちらの人は怒られるとすぐ辞めることが多いです。作業結果が気にいらないからといって、感情的な対応するとさらに事態が悪化します。翌日になって、業者や作業員が現場に来なかったり(笑)。もっとも日本式のマネジメントは、世界でも例外らしいのですが。「子供の頃からバカでも褒めるというやり方が一般的でありますので、厳しいやり方への 免疫がありません」というのは、ここミャンマーでも当てはまります。

それでは、記事をお読みください。外資系企業の皆さん、大変な苦労をされています。具体的な問題については、それぞれの立場もあり、あまり語っていませんが。言外の部分を忖度して、読んでいただければ、彼らの直面している困難さがお分かりになると思います。

『Myanmar Times』724号 2014年4月7日~13日号 より記事転載(原文は英文) 

ヤンゴンの大規模ホテル開発プロジェクト完成が延期
ヒルトン、ノボテル、マリオット、ペニンシュラなどのホテル業界のビックネームが、ヤンゴン参入へ向けたプロジェクトが進行中。しかしがら、各社ともホテル開業が思ったよりも困難なことを思い知る。
Text By Tim Mclaughin
Additional reporting by Aung Shin


2013年の初め、ミャンマーで開催された最初の国際観光会議の中で、国際的なホテル・チェーンのヒルトンは、早期のミャンマーへの参入を表明した。
声明は3月6日に発表され、ヒルトンはタイを拠点とするLPホールディングスと、ダウンタウン・エリアのセンター・ポイント・タワーの複合商業施設に建設予定のヒルトン・ヤンゴンのマネジメントについて合意したと、ヒルトンは語った。
この声明は一連の改革に伴い、ミャンマーへの経済的な将来への楽観が広がったことを反映していた。観光ブームが過熱し、ホテルの需要は急激に高まった。さらにアメリカの経済制裁は解除され、アメリカの巨大企業が知名度の高いブランドを市場へ投入した。
センター・ポイントについては、21年前の開始時からプロジェクトは難航していた。ヒルトンは、LPホールディングスが長らく約束していたハイエンドのホテル建設に必要とされる、投資とノウハウを提供する救済者と見なされていた。
しかしながら、アナウンスから一年以上経過しても、スーレー・パゴダとMerchantロードのコーナーにできるはずの21階建てタワーの建設は遅々として進んでいない。
プロジェクトが突き当たる困難さは、ミャンマーへ進出する外資系企業が直面する、チャレンジに対して引き起こされる共通の症状だ。一年前のスピーディーで円滑な市場への参入という期待は、現地のビジネス環境のリアリティの前に潰えた。
「よくこの国のことを見て欲しい。これを強調するのには、いつも少しばかり気をつけているのだが、問題はミャンマーにあるのではなく、外資系企業の期待が問題なのだ。この国が一夜にして上手く行くようになるはずがない」とミャンマーの不動産会社Colloers Internationalの経営者Tony Piconは言う。
センター・ポイントでは、金属製の板壁が、一等地にあるタワーの建設現場を取り囲んでいる。壁のすぐ側の舗道では、ちいさな木の木陰で手相見達が歩行者に将来のアドバイスをしている。数人の建設労働者が、ビルの入口で、中断した現場をぶらぶらしている。建物へは、最近になって重機や電気システムが備えられた。
ホテルは当初は、先月、開業予定だった。今のところ、6階のディスプレイ用の部屋一室のみが準備されている。ベッドルームからガラスの壁で隔てられたバスルームは、クロームの金具と巨大な自立式のバスタブが占拠している。部屋の中央に置かれた、深い色の木枠のキングサイズのベッドは、建設現場からの埃から保護するため、ビニール・カヴァーに覆われている。
LPホールディングスのディレクターRichard Mayhewは、モダンでオープン・プランな客室は、完成すればヤンゴンで最も広いものとなるだろうと語る。
ところが「ホスピタリティー体験の質に対する基準」となるだろうと、2013年3月にヒルトンが約束したホテルは、6ヶ月以上の遅延を経て、300室のみが基準に達することが明らかになっている。
ヒルトンの関係筋は、2014年内に150室程度を部分的に開業することを目指している、とミャンマー・タイムズに語った。
業務の遅延は、ヒルトンの品質基準を適えるため輸入する、ホテルの必要物品の停滞が原因となっている。 一方、LPホールディングスは作業員の確保に苦労している。関係筋の語るところによると、タイから連れ来た作業員の多くが、ヤンゴンの労働環境に不満で、すぐに帰ってしまった。
Mayphew氏は、最近のインタビューで、プロジェクトが直面している具体的な問題について、コメントを控えた。
しかしながら、ホテル建設の遅延は、センター・ポイント関連の作業の遅れの最新のものに過ぎない。 同所は一等地にも関わらず、LPホールディングスが目指している開発に、現在まで失敗してきた。
センター・ポイントは、1990年代前半、最初の外資系企業の呼び込みへの失敗となった、記念碑的な建物だ。1992年、Than Shwe将軍は軍部の実権を握ると、限定的な改革に着手した。
ホテル観光省は1993年11月に、LPホールディングスとセンター・ポイントに関して、BOT(Built, Operate and Transfer)契約を締結した。ホテルの建設は2年後の1995年に開始されたが、1998年のアジア通貨危機による景気後退の影響を受けて中止された。
フランスのホテル・グループAccorのラグジュアリー・ブランドSofitelが、元々、このプロジェクトに参加していたが、まもなくミャンマーの人権侵害に関する懸念から、撤退した。
プロジェクトは、2005年に再開されるまで、休止されていた。2006年にオフィス・タワーが建設されたとき、プロジェクトのコストは100万USドルまで膨れ上がっていた。4年後の2010年1月、Mayphew氏はミャンマー・タイムズに、ホテルは同年の11月に開業するだろうと語った。2010年6月、開業日はさらに2011年初頭に延期された。あるヤンゴンに長く住む外国人は、ホテルのソフト・オープンまで4年かかっていると冗談の種にする。
しかしセンター・ポイントとヒルトンだけが、停滞したホテル事業というわけではない。
ヒルトンがミャンマーに参入した同じ頃、Accorがミャンマーに戻ってきた。 マックス・ミャンマー・グループのU Zaw ZawとヤンゴンにNovotel Yangon Maxを、マンダレー、ネピドーにも同様にホテルを建設するパートナーシップを結んだ。
同社は、British American Tabaccoやエリクソン、ペプシなど1990年代に同地を去って以来、再参入を果たした企業のひとつである。
未だアメリカのブラック・リストに載るマックス社とパートナーシップを組んだことは、同地のクロニー(訳注:軍事政権との関係が深かった政商が経営する企業)と提携することへの評判リスクが低くなったことと、この種のビジネスマン達が享受しているコネクションの役得が高いことを示している。 Accorにとって残念なことに、2カ所で進めている開発をスピード・アップすることはできていない。
マックス社の提携がアナウンスされた時のウェッブ・サイトの記事には、Pyayロードのノボテル・ホテルは、遅くとも2013年12月に開業されると書かれている。しかし、Accorのスポークスマンは、特定できない様々な建設の遅延によって、2014年終わりまでに「完全に完成」すると、先週に語った。予定より、まる一年の遅延である。
マックス・ミャンマー・ホテル・カンパニーのプロジェクト・マネージャーのU Bo Chan Tunは、最初のうちはヤンゴンのホテル建設が遅れていることを否定した。
「遅れてはいません。我々はプロジェクトの誰にも期限を定めていません」と彼は語る。
 マックス社のウェッブ・サイトの記事に書かれていたことについて尋ねると、彼はホテルのデザイン変更に伴う遅延を渋々認めた。
Accorがパートナーシップを結んだ、もう一つの企業ネピドーのMGalleryホテル・グループも設定した期限を守ることができないでいる。自慢のシガー・バーやイタリアン・レストランを備えた119室のホテル・プロジェクトは、2013年にフルオープンを予定されていた。2013年12月に開催されたシーゲーム(Southeast Asian Games)では、部分的に営業して宿泊客を入れた。今は入口は閉ざされ、工事が再開されている。
バンコクを拠点とする、Accorのスポークスマンによると、現在は、2014年の第4四半期にオープンすることが、予定されている。
気質の違いが引き起こす問題は、別のホテルのパートナーシップにも降りかかっている。それは、ヤンゴンの象徴的な植民地様式の建物に対する、再開発と再利用を目指したものだ。
Serge Punの肝いりで、築100年のビルマ鉄道省の建物の再開発を含む、400万USドルの複合商業施設のランドマーク・プロジェクトは、鉄道省からのリース期限の延長の許可が下りないため、実施に取りかかれずにいる。
First Myanmar Investment(FMI)、Serge Pun & Asocciates、シンガポール上場企業Yoma Strategic Holdingsの会長であるPun氏は、昨年12月にミャンマー・タイムズに、1995年で期限切れのリースを、現行法で最長となる70年の延長ー50年と2回の10年延長ーの申請をしたと語った。
しかし、ここ数年で、鉄道大臣が二回交代する中、リース延長の認可を得るのは難しいことが証明された。昨年7月のU Zeyar Aungは、U Than Htayに交代し、長い間、副大臣を勤めたThura U Thaung Lwinは、他省へ異動となった。
Pun氏は、このプロジェクトに関するコメントを拒否した。鉄道省の高官は、最近、ネピドーでリースの延長についての会議が開かれたが、進展はなかった、とミャンマー・タイムズに語った。建設予定地は閉鎖され、Grand Mee Ya Hta Executive Resindencesビルディングの周りを、丈を伸ばした雑草が生えるにまかしている。
計画の行き詰まりにも関わらず、Yoma Strategicは、1880年代のペニンシュラ・ホテルにまで遡れるHongkong and Shanghai Hotelsと、3月10日に鉄道省の建物の開発に関する業務提携にサインした。
HSHグループの不動産ディレクターMartyn Sawerは、「今ままでの進展に満足している」と語った。
「我々のパートナーYoma Strategic Holdingsはミャンマーで長い経験があり、両者ともこのプロジェクトに対して、長期的な展望を持っている 」とSawyer氏は言う。
このような計画の遅延はホテル・チェーンの意欲を削ぐかもしれないが、ミャンマーへの旅行者、とりわけビジネス関係の旅行者は、着実に増え続けている。
ホテル観光省は、飛行機でヤンゴンに到着した旅行者が、全体の2分の1以下にも関わらず、2013年に200万人の旅行者がミャンマーを訪れたと発表した。 2014年には、300万人になると予想されている。
こうした旅行者の増加を背景に、ロンドンに拠点を置く、World Travel and Tourism Council(WTTC)は、3月に発表したレポートの中で、ミャンマーの旅行産業は、2014年に9.4%成長し、971万USドルに達すると予測している。
最近になって、マリオットが、Kanbawzaグループとの提携から撤退した。品質管理に関してのいざこざが原因だ。これに対して、スイスのホテル・チェーンKempinskiがすぐに割って入った。
Kanbawzaグループの副社長U Moe San Aungは、マリオットのネピドーのホテル建設現場での厳格な監査は、プロジェクトを遅らせた、とミャンマー・タイムズに語った。マリオットは、この件に関してコメントを控えた。
U Moe San Aungによると、Kempinskiは3月末に、Kanbawzaの全所有となる施設の管理に関する契約を、Kanbawzaと交わした。Kempinskiネピドーは、翌月に開催されるASEANサミットに先駆け、5月1日にオープンを予定されている。
Kempinskiのスポークスマンは、「ミャンマーはKempinskiが関心を持ち、参入の機会を探っている市場だ」とのみ語った。
Accorのスポークスマンは、マックスに代わって、Myat Min Companyと開発を進める判断は、現在起こっている遅延とは無関係と語った。Accorとの取引前には、Myat Minは農業関連の企業だった。
ヒルトンの非公式の情報として、アジア開発を業務とするディレクターのKieran Bestallは、グループはバガン、ネピドー、マンダレーについてのプロジェクトについて検討していると語ったが、具体的な情報は明かさなかった。
「ミャンマーへの関心は特別なものだよ」とBestal氏は言う。

面白かったらポチってね
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村